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上野公園
お化け燈籠 台東区上野公園4番
佐久間大膳勝之が東照宮に寄進した石造りの燈籠で、
「奉寄進佐久間大膳亮平朝臣勝之 東照大権現御宝前石燈籠 寛永八年辛未孟冬十七日」
と刻字し、寄進者・寄進年月を知ることができる。
 寛永八年(1631)当時、東照宮は創建して間もなく、社頭には、大鳥居・銅燈籠・石燈籠などは、まだわずかしか奉納されていなかった。勝之は他にさきがけて、この燈籠を寄進したのである。勝之は、織田信長の武将佐久間盛次の四男。母は猛将柴田勝家の姉という。信長・北条氏政・豊臣秀吉、のちの徳川家康に仕え、信濃国川中島ほか1万8千国を領した。燈籠の大きさは、高さ6.06m、笠石の周囲3.63mと巨大で、その大きさゆえに「お化け燈籠」と呼ぶ。同じ勝之の寄進した京都南禅寺・名古屋熱田神宮の大燈籠ととも、日本三大燈籠に数えられる。

平成八年七月 台東区教育委員会

時の鐘 台東区上野公園4番
 花の雲 鐘は上野か 浅草か
 芭蕉が詠んだ句はここの鐘のことである。
 
 時の鐘は、はじめ江戸城内で撞かれていたが、寛永三年(1626年)になって、日本橋石町三丁目に移され、江戸市民に時を告げるようになったという。元禄以降、江戸の町の拡大に伴い、上野山内・浅草寺のほか、本所横川・芝切通し・市谷八幡・目白不動・目黒円通寺・四谷天竜寺などにも置かれた。 初代の鐘は、寛文六年(1666年)の鋳造。銘に「願主柏木好古」とあったという。その後天明七年(1787年)に谷中感応寺(現、天王寺)で鋳造されたものが、現存の鐘である。正面に「東叡山大銅鐘」、反対側には「天明七丁未歳八月」、下に「如来常住、無有変易、一切衆生、悉有仏性」と刻まれている。 現在も鐘楼を守る人によって、朝夕6時と正午の三回、昔ながらの音色を響かせている。
 なお、平成八年六月、環境庁の、残したい「日本の音風景百選」に選ばれた。

平成八年七月 台東区教育委員会

上野公園にある像

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